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6月11日放送の「新聞記者のひとりごと」、”反感を恐れず、反響を求める座談会”では 東広島“学園都市”誕生の舞台裏をテーマにお送りしましたが、放送後には元参議院議員 菅川健二さんより、 「東の筑波・西の東広島」に関する補足コメントも寄せられました。
コメントを掲載いたします。
「東の筑波」「西の東広島」
現在、典型的な学園都市として「東の筑波」、「西の東広島」が挙げられている。
都市づくりの観点から見ると「筑波研究学園都市」と「東広島学園都市」は、全く性格の異なるものである。
筑波研究学園都市は、「筑波研究学園都市建設法」(1970年制定)に基づき、国が直接計画し、建設したもので、地域は関係⒍町村
がばらばらに対応した。都市づくりが一段落した段階で、1987年、関係4町村が合併し、つくば市が誕生したのである。いわば国家主
導の都市づくりである。
東広島学園都市は、広島大学が、1960年代末の大学紛争を契機として、タコ足大学と言われたキャンバスを統合することとし
、1973年 数か所の候補地の中から、大学自体の意思で西条町に移転することを決定。県に用地確保を要請した。この間、賀茂郡の各
町は、大学誘致期成同盟会を結成し、更に、西条、八本松、志和、高屋の4町が合併協議会を設置。1974年4月に東広島市が誕生した
。その後、県と市とが一体となって学園都市としての基盤を整備した、いわば地方の自主的な都市づくりである。
ポッドキャスト版では、 菅川さんのコメントを追加した再編集版として公開しております。 ぜひお聴きください。
